利用者の声
愛知県 →長崎県
O・N 様さん 30代
九州Uターンの厳しい現実に、同じ覚悟を持って向き合ってくれた。
転職前 | 転職後 | |
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業種 | 空調設備 | 産業機械 |
職種 | サービスエンジニア | 製造管理 |
勤務地 | 愛知県 | 長崎県 |
Uターン転職の壁
前職では、大手重工業・プラント関連の会社で、11年間にわたり長崎県の造船部門の工場製造管理に携わっていました。その後会社が造船部門を縮小する方針となり、四国の造船会社に出向し2年間働いた後、グループ会社の空調設備を扱う部門に出向することになりました。この会社は愛知県にあり、家族を連れての移住も考えましたが、さまざまな事情から単身赴任を続けることになりました。空調メンテナンスの仕事は私にとって異なる分野。加えて新天地での単身赴任生活が始まりました。1年半ほど働きましたが、職種の違いに違和感が拭えず、製造管理の仕事に戻りたいという想いは日に日に強くなり、また、家族の希望もあって、長崎に戻る決断をしました。
転職活動は困難な道のりでした。九州大手企業の面接を数社受けましたが、すべて不採用となりました。面接官からの「うちでどんなことができますか?」という質問に対し、準備不足で一般的な回答をしてしまったこともありました。また、希望していた年収と九州の実情との間に大きなギャップがあり、選択肢も限られていました。数ヶ月間、結果が出ずに精神的にも苦しい時期でした。
転機は、「九州と言えばリクパーさんだよ」
九州での転職を諦めかけていたところ、とある四国の転職エージェントとの出会いが希望の光となりました。転職活動をはじめてすでに半年以上が経過した頃、「九州での転職ならば」とリクパーさんを紹介され、下﨑さんと出会いました。初めての面談で、私が過去に受けた面接の話をすると、「私からご紹介できていれば…」と残念がる姿が印象的でした。下﨑さんは私の経験に基づいて、三菱長崎機工が希望や条件に合致すると考え、この会社について話を進めてくださいました。公開されている求人情報には製造管理のポジションはありませんでしたが、下﨑さんは「Nさんの経験を考慮して検討してもらえないか掛け合ってみますね」と企業へ直接ポジションを提案してくださいました。長崎から通勤可能で、大型産業機械を取り扱う同社での仕事に、私は望みを託しました。
長崎へのUターンを歓迎してくれる企業との出会い
ありがたいことに面接のチャンスをいただき、緊張しながらも一次面接に臨みました。面接官の方と長崎の地元トークで話が盛り上がり、「Uターン歓迎」の雰囲気を感じるとともに、製造管理の経験を生かせるポジションでもあり、この会社で働きたいという意欲が一層強まりました。面接終了後、下﨑さんから「うまく伝えられなかったことはありませんか?」とのフォローを頂きましたが、「伝えたいことは全て伝えました」と自信を持って答えることができました。
最終的には順調に選考が進み、合格の連絡をいただきました。ただ、気になる点が一つありました。年収面です。下﨑さんからは何度も「現在より収入が下がりますが大丈夫ですか?」と心配され、私も悩みましたが、長崎に戻るためにはこの選択が最良であると決断しました。
決意の先に得られたもの
前職の頃は長期休暇を利用して長崎の家族の元に帰っていましたが、単身赴任先の愛知に戻る日が近づくにつれ元気がなくなっていく子どもたちの姿に、申し訳なく寂しい気持ちでいっぱいでした。今では毎日子供たちの「おかえり!」の声を聞くことができて、家族と一緒に過ごせる生活が本当に嬉しいです。妻を近くで支えることができるのも安心ですし、佐賀の実家にも頻繁に顔を出しています。長崎に帰ってくることができて良かったと心から感じる日々です。
三菱長崎機工との出会いがなければ、九州へのUターン転職は実現しなかったでしょう。長崎に戻ることを諦めるしかなかったかもしれません。しかし、下﨑さんはいつも私の想いに寄り添ってサポートしてくれました。「Nさんにとって三菱長崎機工様は最高の会社。一緒に頑張りましょう」と全力で伴走してくれて、自分のことのように本気で私の転職活動に向き合ってくれました。「長崎での転職を成功させたい」という私の想いを汲んでいただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
担当コンサルタントより
キャリアアドバイザー
下﨑 和志